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神橋

大昔、私たち日本人の先祖は、天高くそびえ、雲、雨、雪、かみなりなどさまざまな自然現象を展開し、命のもとである大切な水を恵んでくれる高い山々に、おそれと尊敬の心を抱いた。そこには神がいると信じた。自然に生まれた山岳信仰である。
 関東平野の北方にそびえる霊峰二荒山-れいほうふたらさん-(男体山-なんたいさん-)も古くから、神のおられる山として、うやまわれてきた。



三仏堂と雪をいただく女峰山

輪王寺とは、お寺やお堂、さらに15の支院の総称で、勝道上人-しょうどうしょうにん-が天平神護-てんぴょうじんご-2(766)年、神橋-しんきょう-のそばに四本竜寺-しほんりゅうじ-を建立したのが始まり。山岳信仰の場として栄え、たくさんの行者-ぎょうじゃ-が修行に訪れた。平安時代の弘仁-こうにん-元(810)年、朝廷から一山-いっさん-の総号として満願寺-まんがんじ-の名をもらい、後に円仁-えんにん-が来山して天台宗となって、現在に至っている。鎌倉時代には、弁覚-べんがく-が光明院-こうみょういん-を創設して一山の本院とし、天皇家から門跡-もんぜき-を招く皇族座主の制度が始まった。しかし、安土桃山時代には小田原の北条氏に加担したため、豊臣秀吉に寺領を没収されて一時衰退した


中禅寺温泉街と男体山、中禅寺湖

一般に日光というと、市街地(日光市内・日光山内-さんない-)方面のことを呼ぶ場合が多い。これに対して、中禅寺湖-ちゅうぜんじこ-や男体山-なんたいさん-周辺、さらに湯元-ゆもと-方面まで含むエリアを奥日光という。どこからが奥かというと、いろは坂からよく見える「屏風岩-びょうぶいわ-」が境といわれる(湯元エリア付近のみを奥日光と呼ぶ場合もある)。
 男体山は二荒山-ふたらさん-とも呼ばれ、その「ふたら」とは観音浄土の補陀洛-ふだらく-(梵語-ぼんご-)から出ている。





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