館内施設 客室例
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佐久間象山遭難の碑

「ぞうざん」ともいう。幕末の兵法学者で、近くの木屋町通三条上ルに寓居し、開国論を唱えて公武合体につとめた。そのため攘夷派から憎まれ、1864年(元治1)7月11日夕刻、山階宮邸から自宅へ向かう途中、この地で、2人の刺客に襲われ最期を遂げた。高瀬川畔に碑。市バス河原町二条250メートル。


西明寺 客殿

本堂の左方に接近して建ち、本堂左後方と短い渡廊下で結ばれている。造営は本堂より古く、江戸時代前期に移築された。当時は食堂と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用されていた。前列二室、後列三室からなり、前列南室には、慶長および元和年間に三度にわたって制定された九ヶ条からなる「平等心王院僧制」木札が掲げられている。


西明寺 本堂

元禄十三年(一七〇〇)に五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建された。桁行七間、梁行四間で、内部は梁行に三分されている。中央間が内陣で、後方に四天柱を建てて逆蓮擬宝珠付きの唐様須弥壇に厨子が奉安されている。両横の脇陣が外陣の役割を果たしており、真言宗寺院の本堂としては特異な平面である点に特色がみられる。正面入口の梁上に「霊山鷲心」の額が掲げられている。




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